その夜。
「とは言ったものの…恋人同士って何したらいいんだろう…」
風呂を出て自分の部屋に戻り、昼間のことを思い返す。
思わず了承してしまったけれど、真似事とは言え恋人同士らしいことなんて自分にできるのだろうか。
その時、畳の上で携帯電話が鳴り出した。
「…はい」
「よっ、恭弥!」
聞こえてきたのは、たった今思い描いていた相手の声だった。
「こんな時間に何か用?」
「寝る前に恭弥の声聞いときたくてよ」
「何それ、意味わかんない」
「そーゆーもんなんだぜ、恋人ってのは」
「ふうん……」
それもまた僕には理解できない考えだけれど、教師役のディーノがそう言うんなら本当なんだろう。
「本当はいつだって傍にいたいし会いてーけど、そーもいかねーだろ?だからせめて声だけでも、な」
優しい声で、ディーノは僕に語りかけてきた。
その言葉を頭の中で繰り返し、恋人同士のあり方として記憶に留めておくことにする。
………理解できる日が来るのかは疑問だけれど。
「そろそろ眠いから寝るよ」
欠伸をしながら言うと、電話の向こうのディーノもそれに応じた。
「声聞けて嬉しかったぜ。おやすみ、恭弥」
「…おやすみ」
携帯を置いて、布団の上にぱたりと横たわった。
そっと瞳を閉じると、たった今聞いたディーノの声が頭の中によみがえる。
他人の声を聞くことにメリットがあるなんて思えないのに。
けれど、繰り返し再生されるその声はどこまでも穏やかで、優しくて。
その心地よさに包まれながら、次第に眠りに落ちていった。
翌日の放課後。
隼人と二人で応接室にいると、携帯が鳴り出した。
「はい」
「あ、恭弥?授業終わっただろ?今からデートしよーぜ!」
「別に構わないけど」
「じゃ、すぐ行くから!」
電話の向こうで慌しく準備をする音。
それに続いて、ガンッと何かにぶつかる音がした。
「いってーーー!!!」
「…大丈夫?」
どうやらロマーリオは別室にいるらしい。
呆れながら問いかけると、呻きながら平気だと答えてくる。
通話を切ると、隼人がきょとんとした様子で僕を見ていた。
「今の電話、跳ね馬か?」
「そう。今からデートしようって」
「デート??お前ら、ひょっとして付き合ってんのか?」
「うん、まあ…」
人の愛し方がわからないから、とは言いづらかった。
隼人は何度もへええと頷きながら、僕の顔を眺めている。
「何?僕の顔に何かついてる?」
「わかんねーもんだよなあ。今まで跳ね馬のこと好きとか一度も聞いたことなかったのに。ちょっとくらい話してくれたって良かったんじゃねえの?」
「それは……」
まさか昨日成り行きで付き合うことになったとも言えない。
僕が言葉を濁していると、隼人が勢い良く背中を叩いた。
「まっ、アイツみてーなへなちょこには恭弥くらいしっかりしたヤツの方がいいかもな!結構お似合いだと思うぜ、お前ら!」
「そう…かな?」
「そーそー。んじゃ、跳ね馬が来んならオレは邪魔だな。退散すっからよ」
「邪魔?なんで?」
「なんでって……フツー恋人が来るってんのにダチのオレがいたら邪魔だろ」
……そういうものか、と一人納得して頷く。
そのまま隼人はさっさと出て行ってしまった。
しばらくすると、校門前にディーノが車で迎えに来た。
助手席に乗り込んで、ハンドルを握るディーノを見つめる。
「部下がいなくて平気なの?」
「ああ、恭弥がいるからな」
「………?」
意味がわからずに首をひねった。
だって僕は部下じゃないのに。
まあ、いざとなれば僕がハンドルを取ればいいか。
四輪はあまり運転したことないけれど、ディーノに任せるよりはマシだ。
そんなことを考えていると、ディーノの手が僕の髪に触れた。
顔を向けると、穏やかな笑みで見つめられる。
「恋人だって、守らなきゃいけないものには違いないからな」
「ふうん…」
昨日から、知らなかったことばかりだ。
取り合えず納得したことにしておいて、顔を前に戻した。
誰かに守られるなんて冗談じゃないはずなのに。
けれど、どうしてか不快ではなかった。
「恋人」という形ひとつで、こうなるものなんだろうか。
………ますます恋人というものは不可解だ。
宣言どおりに、ディーノの運転はしっかりしていた。
最初はいつでもハンドルを奪えるように警戒していたけれど、次第に僕にも余裕が出て、助手席の窓から景色を眺める。
「海……」
車は海沿いに走っていた。まだ海水浴には早く、砂浜に人影は無い。
と、ふいにディーノが道路脇に車を止めた。
「どうしたの?」
「せっかくだし、ちっと遊んでいこうぜ」
「遊ぶ……」
以前ディーノと海に来た時のことを思い返す。
あの時は別に海を目指してきたわけではなく、戦いながら移動していたらいつの間にか海に着いていたんだけど。
ひたすらにトンファーを振るっていた記憶しかない。
「って待て!なんでトンファー出してんだ!?」
「だって遊ぶんでしょ?」
仕込みトンファーを組み立てながら、首を傾げる。
「……お前の中の遊ぶの定義は間違ってんぞ」
ため息をつきながら頭を抱え、ディーノは僕からトンファーを取り上げた。
「とにかく!恋人相手にトンファー振るうのはナシな!」
「えーーー…」
こんな戦い甲斐のある相手はそうそういないのに。
おまけにここなら校舎を破壊する心配も無いから遠慮なく暴れられる。
「あーあー、そんなあからさまに不満そうな顔すんな。それはまた別の機会に相手してやっから。今日は恋人同士としてここに来てんだってこと忘れんなよ」
「…それで、遊ぶって何するの?」
しぶしぶ尋ねると、ディーノは裸足になり、ズボンの裾を少し捲り上げた。
どうやら海に入るつもりらしい。
「ほら、恭弥も」
「やだよ。後で足洗うの面倒くさい」
ぷいっと顔を逸らした次の瞬間、ふわりと体が宙に浮かんだ。
「なっ!?」
ディーノが僕の体を肩の上に抱え上げ、バシャバシャと海の中に入っていく。
「ちょっ、ちょっと!何するのさ!下ろしてよ!」
「これなら恭弥の足は汚れねーだろー」
「だからってこの持ち方はないだろ!僕は物じゃないんだから!」
ディーノの体を叩きながら暴れる。
「っと!こら、暴れたら危な…」
ずるりとディーノの肩から滑り落ちかけた僕の体を、ディーノが体勢を変えて抱えなおす。
その手がサラシを巻いた僕の胸に回された。
「っ!や…っ、離して!」
勢い良く突き飛ばしたその瞬間、ディーノがバランスを崩し。
「おわっ!?」
僕らは二人揃って海の中に倒れこんだ。
「………イヤだって言ったのに」
「だから悪かったって」
ディーノが僕に向かって頭を下げる。
僕らは全身びしょぬれで砂浜に立ち尽くしていた。
ディーノは車から取ってきたタオルを僕にほうる。
それで髪を拭いていると、「ほら」とシャツを差し出された。
「やー、トランクに着替え入れといて良かったぜ。オレのだからでかいだろうけど着替えろよ」
「いいよ、このままで」
「よくねーよ、風邪ひいちまうだろー」
「いいって言ってるだろ」
ぷいと顔を逸らすと、肩を掴まれた。
「ダーメだって。ほら、脱がしてやるから腕上げろ」
「…っいい!」
ディーノを突き飛ばして立ち上がり、車へと戻る。
「あっ、こら恭弥!そのまま乗ったら車ん中まで水浸しに…」
追いかけてくるディーノに構わずに、そのまま車に乗り込んだ。
「あとで掃除でもなんでもすればいいよ」
「ったく〜…」
はぁぁと息をついてから、ディーノは僕の髪に触れた。
「髪はちゃんと拭いたな。あとで風邪引いても知らねーぞ」
「平気だよ」
優しく触れてくるその手がなんだか落ち着かなくて、俯き加減にそう答えた。
「恭弥、無事かー?」
翌日の夕方。
母に案内されて僕の部屋までやって来たのは、隼人だった。
布団に横になっていた僕が体を起こそうとすると、慌てて隼人がそれを咎める。
「起きなくていい!病人はおとなしく寝てろっての!」
「軽い風邪なのに大げさだよ」
「お前が学校休むなんて軽いわけねーだろ」
「………」
痛いところを突かれて、思わず沈黙した。
昨日海に落ちたせいで風邪を引いたのは確かだが、それ自体は本当に軽いものなのだ。
ただ、昨日帰ってからなんだか胸の中がもやもやして落ち着かなくて。
それで、学校へ行く気にならなかった。
「ところでよ。お前、跳ね馬に休んだこと教えてねーだろ」
「うん」
「お前が学校にいないっつって必死に探し回ってたから…」
そこで言葉を切り、隼人は後ろを振り返った。
長身の影がひょこりと姿を見せる。
「恭弥!ごめんな、オレのせいだよなっ!?」
駆け寄ってきたディーノが、謝りながら布団の傍に膝をついた。
「当然でしょ。あなたのせいだよ」
「うう…」
思いっきりトゲのある口調で言うと、ディーノはしょんぼりとうな垂れた。
「なんで風邪引いたの獄寺には教えてオレには教えてくんねーんだよ?」
そう言って、ディーノは少し恨めしそうな顔をした。
「教えた方がよかった?」
「当たり前だろー。心配くらいさせろよな!」
恋人っていうのは心配したいものらしい。
心配してもらったところで僕の風邪が早く治るわけでもないのに。
「あなたはいつまでいるの?」
隼人が帰った後もまだ傍に座ったままのディーノを見上げて問いかけると、「あのなあ〜」とディーノが髪をかきあげる。
「できるだけ傍にいたいもんなんだって言ってるだろ?」
「だってあなた、忙しいんでしょ?」
「そりゃ忙しいけど、こんな時に傍にいれないようじゃ恋人失格だからな」
「………寝てる人間の傍にいて楽しい?」
「恭弥を見てられっから楽しい」
そう言って、ディーノはにっこりと笑った。
その顔が本当に嬉しそうで、ますますわからなくなる。
見つめられるのが居心地悪くて、布団を引き上げて顔を隠した。
「………あなたの言ってることは、やっぱり僕には理解しがたいよ」
「いーさ、今はそれで」
優しい声が頭上から降りてくる。
見えていないのに、その優しい笑顔までもが頭に浮かんだ。
「ゆっくり休めよ」
そうして、そっと手を握られた。
「寝付くまでここにいるから」
「頼んでない」
子どもじゃあるまいし、軽い風邪くらいで大げさだ。
「気にすんな。オレがやりたくてやってんだ」
「………じゃあ、好きにしなよ」
大きな暖かい手のひらに安心する。
いつの間にか、昨日から続いていた胸のもやもやが消えていた。