「なんだ、まーた跳ね馬と電話か?」
ディーノとの通話を終えたところで、隼人が応接室にやって来た。
「お前らしょっちゅう電話してんなー」
「向こうがかけてくるんだもの」
そう、いつもかけるのはディーノの方からで、僕の方からかけたことは一度も無かった。
先週イタリアに帰ってから向こうで仕事に追われているらしいけれど、電話だけはマメにしてくる。
特に寝る前の電話は一日も欠かしていなかった。
「隼人たちは電話しないの?」
「んー…全然しないわけーじゃねーけど、オレたちの場合毎日学校で顔合わせてっし、休みの日も会おうと思えば会えるからなあ…」
「寝る前に声聞きたいとか言われないの?」
「…はあ?」
僕の問いに、隼人はぽかんとした表情で僕を見つめて。
「お前、そんなこと言われんのか?」
と奇妙なものを見るような顔で問いかけてきた。
何かおかしかったのかな……恋人同士はそういうものだってディーノが言ってたのに。
僕が冷や汗を流して固まっていると、「ふううーん」と隼人は一人で頷いて。
「ま、うまくいってるみたいで良かったぜ!」
嬉しそうにそう言って、バシバシと僕の背中を叩いた。
所詮ニセモノの恋人同士なのに。
そう思うと、ズキンと胸が痛くなった。
………この痛みは、隼人にウソをついているせい?
布団の上に座って、じいっと携帯電話を見つめる。
いつもならかかってくる時間なのに、今夜はなかなかかかってこない。
忙しいだけ?
……それとも、何かあったんだろうか。
かけてみようか、と、ふとそんな思いがよぎった。
僕からも、少しは恋人らしいことをしてみたって悪くない。
それに、「たまには恭弥からもかけてくれよ」と何度もせがまれていた。
僕からかけてみたら、ディーノはどんな反応をするだろう。
それを想像すると何だか楽しくなって、僕はディーノの番号を呼び出した。
そうして、初めて自分から電話をかける。
ところが、数回コールした後で聞こえてきたのは留守電の応答メッセージだった。
それが流れ終わる前に携帯を閉じて、膨れっ面でその液晶画面を眺める。
「せっかく僕からかけたのに……」
ぼそりと呟いて、携帯を手放す。
そのまま布団の上に仰向けに寝転んだ。
胸の中にもやもやが広がっていく。
その夜は、久しぶりになかなか寝付けなかった。
翌朝は枕元で携帯の鳴る音に目を覚ました。
時計を見るとすでに起きる時間。
半分寝ぼけたまま携帯を手に取り電話に出る。
「…はい」
「恭弥っ!!」
途端に、耳元で大音量が響いた。
「……ちょっと、朝からうるさい…」
今の僕は昨夜寝つけなかったせいもあり絶好調に不機嫌だ。
イライラしながら言うと、電話の向こうにもそれが伝わったらしい。
「わ、わりい!えっと……電話もゴメンな?せっかく恭弥からかけてきてくれたってのに……。どーしてもはずせない商談中だったもんで…」
「商談?あんな時間に?」
「あー…いや、そっちが夜でもこっちは…」
「…ああ」
どうして今まで気づかなかったんだろう。
そういえば、イタリアと日本ではかなりの時差があるはずだ。
でもそれじゃあ、毎晩僕が寝る前にかかってきていた電話は?
「あなたもしかして、僕が寝る時間を見計らってわざわざ電話してきてたの?」
「まあ、その……そーいうことだ」
「寝る前に僕の声を聞きたいっていう理由はどうしたの?」
「や!それももちろんそーなんだけどよ、えっと……なんつーか、恭弥がオレのこと考えながら眠ってくれたら嬉しいなーなんて…思って」
そう言って、ディーノは誤魔化すように力なく笑った。
「昨日恭弥からかけてくれたってことは、ひょっとしてオレから電話なくて寂しかった?」
「………わからない」
「ちぇー、そっかー…」
「けど」
「ん?」
「昨夜、なんだか落ち着かなくてなかなか寝付けなかった。僕、あなたの声を聞かないと眠れないみたい…」
自分でもまだ理解できていない状態を素直に伝えると、電話の向こうでディーノが沈黙した。
「…ディーノ?」
「〜〜〜っ!なんだよ、可愛いこと言ってくれんなよー!心臓止まるかと思ったじゃねーか!」
「……は?」
どの辺が可愛かったのかな、と首を傾げていると、ディーノが声を弾ませて言葉を続ける。
「もうじき仕事落ち着くから、そしたらすぐに会いに行くからな!デートしようぜ、デート!」
「…また海?」
「こないだは悪かったよ。今度はちゃんとしたとこ連れてくから、行きたいとこ考えとけよな」
「わかった」
電話を切ってから、支度をしようと部屋を出た。
「あら、おはようございます、恭弥さん」
廊下の向こうから歩いてきた母が僕を見て穏やかに挨拶をする。
母は不思議そうに首を傾げながら、微笑んだ。
「まあ珍しいこと。朝からご機嫌ねえ。いい夢でも見たのかしら?」
ご機嫌?僕が?
そんなことを思いながら、ガラスに映る自分の顔を見る。
そこには、起きた時の不機嫌さなどカケラも無く、ただ幸せそうな表情の少女が映っているだけだった。