幾千の愛の言葉

 

病室のベッドで、ディーノはぼんやりと窓の外を眺めていた。
ここイタリアは自分の生まれ育った国には違いないけれど、こんなにゆっくりと景色を眺めるのは久方ぶりに思える。
祖国を見て物足りない思いに駆られるのも、初めてのことだった。





「ボス、リボーンさんから電話だぜ」

病室に入ってきたロマーリオが、そう言って携帯電話を差し出した。
それを受け取り耳に当てると、変わりのない元家庭教師の声が聞こえてくる。

「ちゃおっす。どじったらしーな、ディーノ」
「へへっ、まーなあ」
「カスの弾も避けられねーなんて、鍛え方がたんねーんだぞ」
「おいおい、これでもうまく避けたんだぜ」
「オレならそんなヘマしねーからな」
「ったく、おまえは〜…」

相変わらず容赦のない物言いに、ディーノは苦笑した。
何でも自分基準で考えられてはたまらない。

「そっちに送った見舞いがそろそろ着く頃だぞ」
「見舞い?」

ディーノがきょとんとした、その時。

「ボス!大変だ!!」

慌てた様子で、病院の外を見張っていた部下の一人が駆け込んでいた。

「どーした!?」
「そ、それが、やたら強いガキがボスに会わせろって乗り込んできてよ、面会謝絶だって言ったんだがこっちの話なんて聞きやしねーで暴れだしちまって…!」
「ちっ、こんな時に…」
「ボス、オレに任せてくれ」

ロマーリオはディーノの前に立ち、懐から銃を抜いた。
だが、通話口の向こうでリボーンが小さく笑う。

「着いたみてーだな」

それを聞かずに、ディーノの手からは携帯電話が滑り落ちていた。
その目は、たった今病室に入ってきた少年に釘付けになっている。

黒い髪に黒い瞳、日本の学生服を纏い、片腕には風紀の腕章。そして、両手に携えたトンファー。



「なんだ、元気そうじゃない」

日本にいるはずの雲雀恭弥は、憮然とした顔でそう言った。

「恭弥!どーしてイタリアに…!?」
「赤ん坊から、あなたが撃たれて入院したって聞いてね。あなたとはまだ勝負もついてないし、訊きたいこともあるから、ちゃんと生きてるか確かめに来たんだよ」

雲雀はベッドまで歩み寄ってくると、ギプスで固定された右足を見つめた。

「無様だね」
「……ああ」

ディーノは周りを取り囲んでいる部下たちに目を向けた。

「お前たち、わりーけどちょっと席を外してくれ」









ロマーリオたち部下を下がらせると、ディーノは自分を見下ろす雲雀に対して、気まずそうに顔を逸らした。

「その…やっぱ怒ってんだよな、あん時のこと」

二人の脳裏に、修業の旅をしていた頃の記憶が蘇る。
二人の傍には常にロマーリオがいたけれども、一夜だけ、ロマーリオが別行動を取った時があった。
その夜のことを、互いに思い出す。

雲雀はベッドの傍の椅子に腰を下ろし、口を開いた。

「僕を抱いたことを言ってるの?」
「…ああ」
「ふうん…。あなたは僕が怒ってると思うんだ」

雲雀は病室の白い壁に視線を移し、言葉を続ける。

「確かに怒ってると言えば怒ってるのかもしれない。でも僕が怒ってるのは、そのことじゃない」
「え?」
「どうしてあなたは謝っていたの?」

雲雀はディーノに顔を向けて、まっすぐに問いかけた。

あの夜。雲雀を抱きながら、ディーノは顔をゆがめて何度も「すまない」と謝った。
その甘い声から紡がれるのは愛の言葉ではなく、懺悔の言葉。
そうしてその翌日からは、ディーノは何事もなかったかのように修業を再開した。
リング争奪戦が終わった後もその態度は変わらず、二人きりになる機会も取れないままディーノはイタリアに戻ってしまった。

「僕を抱くのは、あなたにとってそんなに許されない行為だったの?」

ディーノは雲雀のまっすぐな視線に射すくめられて、息を飲んだ。

「答えてよ、ディーノ」

雲雀はベッドの上に身を乗り出して、問い詰めた。
触れそうなほどにその顔が近づく。

ディーノが返答できずにいると、雲雀はすっと体を離した。そうして、目線を下げて唇を噛む。

「あなたは、僕を好きでもないのに抱いたんだ…!」
「恭弥、それは…!」

ディーノが手を伸ばそうとすると、雲雀は素早く身を逸らしてベッドから離れた。

「恭弥!」

ベッドから起き上がろうとするディーノに、雲雀がくすりと笑う。

「無茶しない方がいいよ。そのギプス、粉砕してあげてもいいけど?」
「恭弥!話を聞けって!オレは…」

ぐっ、とギプスをはめていない方の足に力を入れて、ディーノはベッドから身を乗り出した。
そこで、ディーノの体がバランスを失う。

「おわっ!?」
「っ!!」

ディーノは思わず目を瞑り、派手な落下音が病室に響いた。





「………あれ?痛くない…」

恐る恐る目を開いたディーノは、滑り込んで自分の下敷きになっている雲雀と目が合った。

「……重い」
「わあ!わりい、大丈夫か!?」

雲雀はディーノの体を押し退けると、ムッツリして顔を逸らす。

「ありがと…な」
「別に…。それ以上怪我を増やされたら勝負できないし…」

と、背中からディーノに抱きしめられて、雲雀は息を止めた。




好きになっても、ずっと一緒にいてやることもできない。
いつ死ぬかもわからない。
ファミリーを捨てられない。
それならばいっそ―――そう思い、結局オレは逃げていた。
恭弥からも、オレ自身の気持ちからも。

けれど、もう逃げはしない。




「―――…愛してる」

耳元で吐息とともに囁かれた言葉に、雲雀は全身を振るわせた。

「なん、で」

震える声でようやくそれだけ発すると、ディーノはさらに強く雲雀を抱きしめる。

「なんででも。愛してる、恭弥」
「あの時は言ってくれなかったくせに、どうして今更…」
「そーだな。今更って思われてもしょーがねえ」

雲雀は後ろを振り向いて、ディーノの顔を見た。
今度はしっかりと目を見つめて、ディーノの口が再び同じ言葉をつむぐ。

「愛してる」
「遅いよ…っ!」

雲雀はディーノの胸を力一杯叩いた。

「その言葉だけが聞きたかったんだ…!」

雲雀はディーノの首に腕を回してしがみついた。

「もっと聞かせて。好きなんだ、あなたの声。ずっと待ってたんだから足りない」
「愛してる」
「もっと」
「愛してる。誰よりも愛してるよ、恭弥―――」















数ヵ月後。

「ボス、取り引きの時間だ」
「ああ。あと五分待ってくれ」

ここはイタリアのキャバッローネファミリーの本部。
部下たちを下がらせると、ディーノは携帯電話を開いた。
3コール鳴らしたところで、海の向こうの相手が電話を取る。

「恭弥」

向こうが何か言うより先に名前を呼ぶと、「またなの?」と相手から反応が返ってきた。
けれどその口調は言葉とは裏腹に嬉しそうなものであり、思わずディーノの頬も緩む。

ディーノは愛しい相手の顔を思い浮かべながら、最早日課となったその一言を口にした。




「愛してるよ―――」

 


ディーノさんは気難しいワガママ姫の機嫌を損ねないように毎日愛の言葉を囁くわけです。
イタリアにいよーが日本にいよーが欠かさず。
もー恥ずかしいなこのバカップル!
(2006.7.28UP)

 

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