「跳ね馬が来んのか?」
応接室にやって来るなり、僕を見た隼人がそう言った。
「どうしてわかったの?」
「だってお前嬉しそうだもん」
言われて、自分の顔に手を当てる。
傍目に明らかなほど、僕は嬉しそうな顔をしているのだろうか。
「…ねえ」
「ん?」
「隼人はいつ山本武を好きだと気づいたの?」
「へっ?」
素っ頓狂な声を上げた直後、隼人の顔が赤く染まった。
「な、なんだよ、急に!」
「知りたいんだ。教えてよ」
「うーーー…えっとだな…」
赤くなった顔を手で覆いながら、隼人は言葉を続ける。
「アイツさ、初めて会った頃からスキンシップ過剰なヤツでさ。後ろからいきなり肩組んできたり、腰を抱いてきたり。けど、女だってことがバレた途端、そーいうの一切無くなって…。話しかけても素っ気ねーし、目も合わせてくんねーし。そしたらなんか、それがツラくなって……そん時に気づいたんだ。触れてほしいとか、こっちを見てほしいとか、そーいうふうに思うのが好きってことなんだって」
言い終わってから、「だーーーっ!!」と隼人は頭を抱え込んだ。
「何恥ずかしいこと言わせんだ、てめぇ!!」
ゆでだこの様に真っ赤になっているのがおかしくて、思わず笑いをこぼす。
「笑ってんじゃねー!オレが言ったんだからお前も言えよな!お前はいつ跳ね馬のこと好きだって自覚したんだよ!?」
「僕?僕は……」
言葉を切り、今聞いた隼人の言葉を反芻する。
触れてほしい。
自分を見てほしい。
―――…ああ、そうか。
「そう、だね…。好きなんだ…」
「はあ?何をいまさら…」
声を聞きたい。
僕のことを考えていてほしい。
会いたい………。
「恭弥!?どーした!?」
「…え?」
びっくりした様子で、隼人がハンカチを出して僕の顔を拭った。
そこでようやく、目元が濡れていることに気づく。
「涙…?」
「どーしたんだよ、お前が泣くなんてっ!」
「大丈夫。ちょっと…びっくりしただけ」
「お前って、びっくりしたら泣くのか?今なんかびっくりするよーなことあったっけ?」
心配げな隼人に大丈夫だと言い聞かせ、涙を拭いた。
そう、びっくりしただけだ。
人の愛し方なんて、自分に理解できるとは思っていなかったから。
まさか、ニセモノの恋人役である人を本当に好きになるなんて、思ってもいなかったから。
「恭弥ー!久しぶりっ!」
陽気な声とともに、勢い良くドアが開いた。
弾かれたように顔を上げると、にこにこしてディーノが立っている。
「お、スモーキンボムも一緒か。ツナたち元気か?」
「あったりめーだ。10代目はいつだってお元気だ!」
なぜか得意げに胸を張って、隼人は僕の肩を叩いた。
「じゃ、オレは行くな」
隼人が出て行った後で、ディーノが不思議そうに首を傾げる。
「にしても、お前ら最近仲いいよなー。まあ、守護者同士仲良くすんのはいいことだけど」
ソファに座ったまま黙って俯いていると、ディーノが正面にしゃがみ込み、僕の前髪をかきあげた。
「どーした?どっか具合悪いのか?」
「……っなんでもない!」
咄嗟にその手を振り払い、立ち上がってディーノから遠ざかる。
「恭弥?オレ、なんか怒らせるようなことしたっけ?」
「平気。ほっといて」
顔を見れずに、そっぽを向いてそう言った。
「平気じゃねーだろ。こっち向けって」
「やだ!あなたの顔見たくない!」
だって、僕はもう知ってしまったのに。
目を合わせてしまったら、きっともう誤魔化せない。
「…じゃあ、こっち見なくていいから、恭弥に触れさせて」
そう言われた次の瞬間、背中からディーノに抱きしめられた。
「毎日声だけじゃ足りねえくらい、すっげえ恭弥に会いたかった」
触れている背中は温かいのに、心は凍りそうだった。
だってディーノのこの態度は、恋人同士がするべきことをしているだけ。
この人はあくまで、僕に恋人同士のあり方を教えているだけに過ぎないのだから。
「恭弥は?オレに会いたいとか思わなかった?」
「そんなの……」
手のひらを握り締め、顔をしかめる。
今僕が会いたかったと言ったところで、それは結局、このママゴトの延長に過ぎない。
ホンモノにはならない。
「……会い…たかったよ。あなたに……会いたかった」
締め付けられるような胸の痛みを堪えながら、それだけ言った。
背中越しにディーノが安堵の息をつく。
「…そっか。よかった」
抱きしめる腕の力を緩め、ディーノが声を弾ませる。
「じゃ、デート行くか!どこ行きたい?」
その問いに少し考え、それから思いついたその単語を口にした。
「なあ、なんでまた海なんだ?」
先日と同じ砂浜に立ち、ディーノが不思議そうな表情で僕の方を振り返る。
「だってこの間は遊び損ねたから」
「ふーん?」
ディーノに構わず、靴を脱いで制服のズボンをまくった。
そのままさっさと海の中に入っていく。
「来ないの?置いてくよ」
「え?待てよ、行くって!」
背後でディーノが慌てて靴を脱ぎだす。
先日と同じく、水はまだ少し冷たかった。
海水に浸かっている足元を見下ろし、さらさらした砂の感触を楽しむ。
「追いついた!」
後ろからやって来たディーノに腕を掴まれ、振り返った。
ずっと避けていた視線が、ようやくぶつかり合う。
掴まれた腕を振りほどいて、下を向いた。
「隼人に言われたんだ」
「ん?」
波の音しか聞こえない海で、ディーノが僕の声に耳を傾ける。
「触れたいとか、見てほしいとか……そう思ったら、好きってことなんだって」
「……それで?わかりそうなのか?」
一呼吸置いて、小さく頷いた。
「多分わかったよ。けど…間違ってる」
「は?」
「だって、あなたは僕の本当の恋人じゃないのに……それなのに僕は、あなたが本当の恋人だったらいいと思ってるんだ。こんな気持ちは……間違ってるでしょ?」
そう言って顔を上げると、戸惑った表情のディーノと視線が合う。
嫌な教え子だ、僕は。
この人を困らせてる。
教師と教え子の真似事で、本当にしたがる方がどうかしている。
「もう恋人同士の真似事は必要ないよ。愛し方……わかった、から」
やっとの思いでそう言って、ディーノの横をすり抜けた。
足早に砂浜へと戻っていく。
「…恭弥!」
名前を呼ばれて、後ろから抱きすくめられた。
「ごめん。オレが卑怯だった」
耳元で吐息混じりに言われて、全身が熱くなる。
「たとえ嘘の恋人同士でも、恭弥と一緒にいたかったんだ。そのままいつか、恭弥が本当にオレのことを好きになってくれたりしねーかなって、そう思ってた」
「どういう…意味?」
「だから…っ」
そこで言葉を切り、僕を抱きしめる腕の力が強くなった。
「オレはずーっと恭弥のことが好きだったんだよ!」
思考が止まった。
たった今言われた言葉が理解できない。
「でもあなた、男同士だから練習だって…そう言ったじゃない」
「ほんとに男同士ならな」
「……え」
瞳を見開いて、後ろへと振り向いた。
「黙っててすまなかった。本当はとっくに…修行の旅の途中で気づいてたんだ、恭弥が女の子だってこと」
決まりが悪そうなディーノを信じられない思いで見つめ、口を開く。
「それなら、どうして気づいてないフリなんか…」
「その……気づいてないと思わせといた方が、恋人ごっこに付き合ってくれるかと思って」
「ワオ。あなた、本当に卑怯だね」
「だから、悪かったって!オレとしては恭弥が恋愛事に目覚めるまで気長に待つつもりだったんだよ」
腕を伸ばして、ディーノの顔に触れた。
そうして、その熱意のこもった瞳を見つめる。
僕は手に入れることができたのだろうか?ニセモノの中に隠れていた、ディーノのホンモノの気持ちを。
「もう、待つのはやめるの?」
そう問いかけると、僕の手の上に自分の手のひらを重ねて、ディーノが頷いた。
「ああ。もう家庭教師はやめだ」
「真似事の恋人同士もやめるの?」
「ああ。これからは…」
ディーノが身をかがめて、ゆっくりと顔が近づいてくる。
瞳を閉じると、そっと唇が重ねられた。
「本当の、恋人同士になろう」