隼人の持っている感情。





―――僕の、持っていない感情。










「きょーうや!」

聞こえてきた耳障りな声に瞳を開くと、底抜けに明るい笑顔でディーノが入り口に立っていた。
かつて家庭教師と称して僕の前に現われた男は、今でもこうして暇を見つけてはここにやって来る。

「何か用?」

ソファから体を起こし、目をこすりながら問いかけた。

「ひでーなあ、遊びに来たに決まってんだろ〜?」
「は?ふざけてるの?」

トンファーを構えると、ディーノは慌てて身を引く。

「とと…っ、ホントに気が短けぇな、お前は」
「用がないなら帰ってくれるかな。僕は今機嫌が悪いんだ」

先ほど携帯に届いた、隼人からのメール。
山本と先約があるから、今日の放課後は会えないという内容の。

山本相手に妬いたって仕方ないことくらい、わかってはいるけど。
だって、隼人にとっての一番は山本だ。

………けれどやはり、面白くない。

「恭弥?」

さらり、とディーノの手のひらが僕の前髪を撫でた。

「大丈夫か?」
「…何それ」
「んー?なんか、寂しそうな顔してっから」

ディーノは僕の前にしゃがんで、僕の顔を覗き込んでくる。

「馬鹿にしてるの?それとも、手なずけてるつもり?」
「ったく、なんでそーいう発想になるんだか。教え子を心配してんだよ、決まってんだろ?」
「あなたの生徒になったつもりはない」

そもそも特訓だって、ひたすらに戦っていただけじゃないか。
確かに僕は強くなったけれど、あれは“教える”なんて行為とは程遠い。

「相変わらずつれねーなあ。ま、そーいうとこも好きだけどよ」

好き?チクリと胸が痛んだ。

……そんな簡単に言われた言葉、僕は信じない。















「昨日、跳ね馬が来てただろ」

翌日の放課後、応接室にやって来た隼人がそう言った。
この子は野球部の練習が終わるまでの間、よくこうしてここに時間をつぶしに来る。

「よくわかったね」
「クラスの女子が話してたんだ。あのカッコイイ外人さん昨日も見ちゃったー!ってな」
「……カッコイイ?」

眉をひそめると、隼人が苦笑した。

「アイツ、あの外見だろ?どーしたって目立っちまうんだよ。実はファンクラブも出来てるとかゆー話だし…」

ファンクラブ……そんな風紀を乱す組織が出来ていたのか。
あのにやけた男のどこがいいんだろう。

「それにしても、アイツお前のこと気に入ってるよなー。今じゃ10代目んとこより先にお前んとこ来るぐらいだもんな」
「僕は迷惑してる」
「えー?そーかあ?」

不可解そうな表情の隼人に、僕も首をかしげる。

「どういう意味?」
「だってお前、迷惑してんのに黙っておとなしく相手するようなヤツじゃねーだろ?力ずくで追い出しそーなカンジ。だからお前の方も結構気に入ってんのかと思ってたんだけど」

言われて、そういえばそうだな…と気がついた。

うっとうしくて、迷惑しているはずなのに。―――じゃあなぜ、追い出そうと思わなかった?

「お前さ、ひょっとして跳ね馬に惚れてんじゃねーの?」
「………は?」

隼人の言った言葉に、思い切り顔をしかめて問い返した。

「それ、なんの冗談?」
「オレはマジで言ってんだけどな」

そう言って、隼人は髪をかきあげる。

「生憎だね。君の期待しているようなことにはならないよ」

きっと隼人は、僕が男に惚れればいいと思ってるんだろう。
自分が山本を好きなのと同じように、僕にも好きな男ができればいいのに、と。

でも僕は隼人とは違う。
そんな日は永遠に来ない。

そう、ディーノを追い返さないのだって、そういうことじゃない。
悔しいけどあの人は僕より強くて、僕はまだあの人を倒していないから。
グチャグチャにするまでは、関わっているしかないじゃないか。

だから―――そう、ただそれだけ。













ざわざわと騒がしい校内。
応接室の窓から外を眺めていると、門から入ってくる部外者を発見した。
金の髪のイタリア人―――ディーノ。彼が来るだけで風紀が乱れる。

と、ディーノが数人の女生徒に取り囲まれた。
隼人が言っていたファンクラブというヤツかもしれない。

女生徒たちは何やらディーノに話しかけていて、ディーノはそれに晴れやかな笑顔で答える。
見ていて、胸がムカついた。

なんだ、僕以外にだってあんな笑顔を向けるんだ。
やっぱり彼は、僕の“特別”なんかじゃない。




と、ジュースを買いに行っていた隼人が戻ってきた。

「お待たせー。…どした?なんか機嫌悪りぃ?」

僕の顔を窺うようにしながら、隼人が僕の分のジュースを差し出す。
その手を掴んで、自分の方に引き寄せた。
膝の上に隼人を座らせ、ぽんぽんとその頭を撫でる。

「…恭弥?何してンだ?」

隼人は綺麗な緑色の瞳を真ん丸くして、小首を傾げた。

ああ、やっぱり隼人が一番可愛い。
あの人なんて図体はでかくて邪魔くさいし、全然可愛くない。

「恭弥〜〜〜?」

困った様子の隼人に構わずぎゅうぎゅうと抱きしめていると、ガラリとドアが開いた。

「恭弥〜、いるか…」

聞こえてきたのは、案の定ディーノの声。
その声が、僕と隼人を見て止まった。

「…わりい、邪魔したか?」

こくりと頷くと、ディーノは困惑気味に頭を掻く。

「そっか…。じゃ、また来っから…」

なんだかトボトボした様子でディーノが出て行ってしまうと、僕の胸に顔を埋めていた隼人が「ぶはっ!」と顔を上げた。

「恭弥!お前何のつもりだよ!?今、跳ね馬が…」
「うん、来たね」
「来たね、じゃねーよ!誤解されたんじゃねーのか!?」
「別に誤解じゃないでしょ。僕が好きなのは隼人だって、わからせておかなくちゃ」
「お前はまだそんなこと…」

隼人は額を押さえてハァァと息をつく。
僕はそんなに困らせることをしているんだろうか。
別に隼人と山本が付き合うのは認めてるんだし、いいでしょう?

「あのな、恭弥」
「何?」
「お前はディーノのこと好きじゃねーって言うが、お前がこんなふうに当てつけて見せてる時点で、特別に思ってるようにしか見えねーぜ」

そこで言葉を切り、隼人は僕の顔を見つめてくる。

「お前、ただ怖いだけなんじゃねえの?」

怖い?この僕が、いったい何を怖がるって言うの?

「認めたくねーんだろ。跳ね馬を好きだって」
「そんなことない。あの人のことなんか、僕は…」
「じゃあ、なんで」

隼人の指先が、僕の頬に触れた。

「お前、そんな悲しそうな顔してんの?」

言われて、窓に目を向ける。
窓にうっすらと映る僕の顔は、自分の顔とは思えないくらい頼りなげに揺らめいて見えた。
それは、僕の嫌いな女の顔そのものだった。

ほとんど反射的に、窓目掛けてトンファーを振るう。

「ぎゃーーー!!なんだいきなり!!」

砕け散った窓ガラスに、蒼くなって隼人が叫んだ。
トンファーを持ったままの手をだらりと下げ、荒い息を吐く。

知らない、こんなのは僕じゃない。

「お、おい、恭弥!?どこに…」
「咬み殺しに行ってくる」
「は!?おい、ちょっと……どーすんだよ、この窓ーーー!」




こうなった元凶はあの人だ。グチャグチャにしてやらなければ気がすまない。

 


あいかわらず雲獄がイチャついててスイマセン。ボスはすごすご帰っちゃダメだろう…!
(2008.1.20UP)

 

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