於母影

 

「獄寺、次音楽だぜ。早く行こう!」

かったるいしフケるか、なんて思いつつあくびをしていると、近づいてきた野球バカがそんなことを言った。

どの授業も受ける必要性は感じないが、特に音楽だとか家庭科だとかは面倒くさい。
見れば、10代目は先に笹川たちと出て行くところだった。
それならばサボってもいいだろう、と判断して席を立つ。

「勝手に行けよ。オレはサボる」
「そっか?んじゃ、オレ行くな」
「………?」

いつもならもう少し食い下がってくるのだが、意外にも山本はそこであっさりと引き下がった。
そうして、他の男子生徒たちの輪に加わって教室を出て行く。

「んだよ、アイツ…」

獄寺が一緒じゃなきゃイヤだ!とか、獄寺がサボるならオレもサボる!とか、いつもならそんなふうに言ってくるとこじゃねえのか…?
決して自分を過大評価しているつもりはないが、それでも、音楽の授業と天秤にかけられれば山本は自分を選択するはずだと踏んでいた。

胸くそ悪くて、野球バカのくせに、と舌打ちする。
その時、教室を出て行く男子たちの会話が耳に入ってきた。

「新しい音楽の先生美人だよなー」
「オレ、音楽の授業楽しみになっちまったよ」

………なに?










「なんだ、お前知らなかったのか?」

ベッドを拝借する目的で訪れた保健室で、呆れたようにシャマルがそう言った。

「今までいた先生が先週から産休に入ったんだよ。そんで、こないだから代わりの先生が来てるっつうわけ。これがまたなかなかの美人でな〜〜〜」

ぽわんとした様子で、シャマルはでれでれと顔を緩めている。
オレは視線をさまよわせながら、口を開いた。

「その女、オレより美人なのか?」

すると、シャマルがきょとんとした顔を向けてくる。
思わず、恥ずかしさに顔を俯けた。

「ん?そーだなあ…あと何年かすりゃ隼人の方が美人になると思うぞ。まあでもタイプも違うしな。長い黒髪でおしとやかな感じでよ、あーゆうの大和撫子っつうんだろ?」
「やまとなでしこ……」

確かにそれならば、オレとは比べようがない。
日本人の血は入っていても、オレの外見は100%イタリアよりだ。
性格の方もおしとやかとは程遠い。

ひょっとして、山本はそーいうのが好きなんだろうか。
いつもしつこいくらいにベタベタ構ってくるから、実はオレに気があるんじゃねえかとか、内心うぬぼれていたのに。









音楽の授業が終わったのを見計らって教室に戻り、10代目と一緒に昼飯を広げた。
もう一人の姿がないことに視線をさまよわせていると、オレに目を向けた10代目が小首を傾げる。

「山本探してるの?」
「はっ?い、いえ、オレは別に野球バカなんかっ…」
「音楽の先生の手伝いでまだ音楽室だよ。楽器って結構大きいから女の人だと大変みたい」

ズキン、と一瞬胸が痛んだ。
学級委員でも日直でもないくせに、なんでアイツが手伝いなんてしているのか。
もしかして、アイツが自分から―――。

「あの、10代目」
「なに?」
「10代目は、新しい音楽の先生ってどう思いますか?」
「え?うーん…優しくて教え方もうまいしいい先生なんじゃないかな」
「そーいうことじゃなくて、ですね……その、美人だって聞いたもんで……」
「ああ、そーいうこと」

そろそろと伺うように尋ねると、意図を察したらしい10代目が苦笑した。

「確かに美人だよねー。うちのクラスにも憧れてる男子多いみたいだよ」

あっけらかんとして言うその様子から、10代目ご自身はさして興味もないのだということがわかった。
まあ、10代目は笹川を好きなんだしな…。

「ひょっとして、獄寺くんもああいうのが……」

言いかけた言葉の途中で、10代目は慌てて口を塞いだ。

「っと、ごめんごめん!獄寺くんがそんなわけないよね。忘れてたわけじゃないんだよ!?」

10代目はそうおっしゃったが、おそらくオレが女であることを失念していたんだろう。
学校で男のふりをしているオレが悪いのだし、オレとしては男として扱ってもらった方が有り難いので謝ってもらう必要などないのだが。

男の制服を着て男子生徒として通っているオレは、当然ながら教師や一般生徒からは男だと思われている。
この学校の中でオレが女だと知っているのはシャマルとファミリーの人間だけだった。
今では、山本もその秘密を知る一人になっている。

けど、知ってるからと言って女として見られているということにはならないのかも。
今の10代目みたいに、山本もオレが女だってことなんか普段は忘れきってて。
オレに付きまとうのも、ただの同性の友達みたいな感覚なのかもしれねえ。
だから、好みの美人が現われたら、オレなんかよりもそっちの方が―――。











翌週。

それから注意深く見ていると、確かに山本は音楽の授業に行く時はうきうきと浮かれている。
オレはと言えば、相変わらず音楽の授業はサボり続けていた。
したがって、例の音楽教師の顔はいまだに見ていない。

わざと見ないようにしているのに、クラスの男子どもがその教師の話をしているのが耳に入るたびに胸がざわついた。
10代目のお言葉通りその教師に憧れている男子生徒は多いらしく、どいつもこいつも恋に浮かれた間抜け面だ。
山本もそうなのだろうと思うと、また胸が痛んだ。






「あ、いたいた、獄寺!」

屋上で町を見渡してぼんやりしていると、山本がやって来た。
次の授業は言うまでもない。

「お前いい加減に音楽出ろよ〜。最近ずっとサボってるだろ?前はもーちょっと出てたのに…」

そんなことをいう山本の無神経さと、それを嫉妬している自分自身に嫌気が差す。
オレが背を向けたまま無視していると、駆け寄ってきた山本がオレの腕を掴んだ。

「なあ、獄寺ってば」
「……っ放せ!」

掴まれた腕を振り払い、山本の体を突き飛ばした。

「テメーはさっさと音楽室に行きゃあいーだろ!」
「だから、獄寺も一緒に…」
「なんでオレがテメーと一緒に行かなきゃならねーんだ!早く行けよ!音楽の授業受けたいんだろーが!」

言いながら、視界が滲んできた。
やばい、と思い顔を背けるが、気づいたらしい山本がオレの肩を掴む。

「獄寺、どーしたんだ!?どっか具合悪いのか!?」
「ち、ちげぇよバカ!触んな!!とっとと行け!!」

ぶるぶると首を振ったせいで、たまっていた涙がぼろぼろと零れ落ちた。

「行けるわけねーじゃん!獄寺が泣いてんのにっ!」
「〜〜〜テメェのせいだろがっ!!」

そう叫んで胸倉を掴むと、山本が目を丸くした。

「…え?オレのせい?」
「テメェが…っ、音楽教師なんかに惚れっからっ!オレのこと放って、音楽教師のことばっかだからじゃねえか…っ!」
「………え?ちょ、なにソレ!?オレ、先生になんて惚れてねえよ!?」
「嘘付け!好みの美人だから惚れたんだろ!」
「ち、違うって!そりゃ美人かもしんねえけど、オレのタイプじゃねえもん!」
「じゃーなんで音楽の授業行く時あんな楽しそうなんだよ!?」
「それは……その」

そこで口ごもり、山本は恥ずかしそうに顔を赤くした。
こんな反応をしていながら、なんで惚れてないなんて言い張るんだろう、コイツは。
だがそこで、意を決したように山本が顔を上げる。

「似てんだ、あの先生。オレの………おふくろに」

山本の口から出てきた言葉は、予想外のものだった。

「おふくろ…って、え?お前の……母親?」

山本の父親の顔は思い浮かぶけれど、ずっと昔に死んだという母親の顔は知らなかった。

「オレがちっさい時に死んだからあんま覚えてねえんだけど……写真で見た顔とあの先生がよく似ててさ。ガキみてえで恥ずかしいんだけど、それでつい会うのが楽しみだったっていうか……」

気持ちはわかる。
オレだって、もしおふくろに似た人間がいたら同じような反応をするかもしれない。
もっとも、オレの場合はオレ自身がおふくろにそっくりなんだけど…。

「……けど、それじゃやっぱりタイプなんだろ」

男は母親に似た女に惹かれるもんだとシャマルが言っていたのを思い出してそう言うと、慌てたように山本が首を振った。

「だからっ、ホントにおふくろに似てっから気になってただけで、惚れるとかタイプとかそんなんじゃねえのな!」
「じゃあどんなんがタイプなんだよ、言ってみやがれ」
「えっと、それは……」

そこでまた言葉につまり、山本は顔を赤くした。

「オレはむしろ、その……」

そこまで言って、山本の手のひらがオレの頬に触れ、顔を包み込んだ。
真剣な瞳をして、山本がオレを見つめてくる。

「こんなカンジなのな」

言われた言葉が理解できずに、動きを止める。
それを理解した途端、一気に顔が熱くなった。

「なっ…て、てめ、何をふざけたこと…」
「ふざけてなんかねえよ。なあ、さっき泣いたのってなんで?オレが先生に惚れたと思って嫉妬してくれたの?」
「…………っ」

顔が沸騰しそうだ。
山本に手を添えられているため顔を背けることができず、ぎゅうと目をつぶった。

「ムカついたんだからしょーがねえだろ!テメェがオレより他のヤツを優先すんのイヤなんだよっ!」

半ばやけくそでそう叫ぶと、正面で山本が小さく笑いをこぼした。

「なに笑ってやがる!!」

カッと目を見開いて、山本の胸倉に掴みかかる。
だが山本はまったく怯えた様子も見せず、緩みきった顔でへらりと笑っていた。

「だって獄寺が可愛いこと言うから」
「かっ、かわっ……」

言葉を失い、ばくばくと心臓の鼓動を早めながら金魚のように口を動かす。
その時、始業のチャイムが鳴り響いた。

「…いーのかよ、音楽の授業始まったぜ」

動揺しているのを誤魔化そうと、音楽室の方に目をやってそう呟く。
すると、山本の腕が伸びてきてそのまま抱きしめられた。

「いいよ。獄寺の方が大事だから」

耳元で囁かれた優しい声に、そっと目を閉じる。
まだ心臓はうるさいけれど、ずっと感じていたもやもやは消えて幸せに満たされていくのを感じた。

「安心してくれな。あの先生よりも、他の誰よりも……オレの一番は獄寺だからさ」

その後に「好きだよ」と続けられた言葉に、心の中で同じ言葉を唱え返した。

 


山本家の母は純和風な美人だと思います。恭弥みたいな!(え)

音楽の先生はきっと山本が自分に気があると思って誤解してるよ。あの子は無自覚で先生をタラシこんでますよ。
獄寺くんはそんな無神経な山本に毎回ヤキモキしてればいいと思います。
(2008.12.21UP)

 

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