「山本!どーしたの、その顔!?」
月曜日、教室に入ってきた山本を見て、クラスのみんながざわついた。
ツナは慌てて山本に駆け寄る。
山本の左頬には、くっきりと赤い手形が残っていた。
「いや〜、昨日ちょっとな…」
「…ひょっとして、獄寺くん?」
ツナが声を潜めて尋ねると、山本は苦笑しつつ頷いた。
「ほんと怒りっぽいのな〜。ちょっと揉んだだけなのに…」
そう言って、わきわきと右手を動かす。
どこを。
ていうかその手の動きはイメージ崩れるから止めた方が。
「あー…それで今日獄寺くん遅いんだ」
頭を押さえつつ、ツナは溜め息をついた。
「邪魔するぜ」
応接室のドアが開いて、獄寺が入ってくる。
雲雀は読みかけの本に視線を落としたままで、口を開いた。
「珍しいね。こんな時間から」
「ホームルームなんてかったりーんだ。授業にはちゃんと出っからいーだろ」
授業すら出てるのか怪しい雲雀に言い訳するのも妙だが、そう言って獄寺はソファに腰を下ろした。
「どうしたの?昨日の帰り道、山本に襲われでもした?」
いつになく大人しい獄寺を不審に思い雲雀が問いかけると、獄寺の動きが固まった。
「…図星だね。何されたの?」
言いながら、雲雀はシャキン!とトンファーを出す。
雲雀こそ何する気だ。
「べ、別に、された、ってほどのことじゃ…。マンションの前で別れる時に………キス、されて…そんで、その……む、胸、触られて……」
「へえ…」
「け、けど、そのまま殴り飛ばして逃げちまったから、それ以上はほんとに何も……」
獄寺はかわいそうなほど真っ赤になってしまっている。
雲雀は小さく首をひねった。
「逃げたのは、嫌だったから?」
「そーじゃなくて……とにかく、びっくりして」
「ふうん…。まあ、隼人らしいとは思うけど」
「と、とにかく、昨日はサンキュな!跳ね馬にも礼言っといてくれよ」
「わかったよ、伝えておく」
「跳ね馬はもうイタリアか?」
「うん。今朝の飛行機で帰ったよ。来週また来るって言ってたけど」
「そっか…。ところでお前、進学どーすんだ?」
「どうするって?」
「だから、その……普通にこっちの高校進学すんのか、それとも……」
「イタリアには行かないよ」
獄寺の言葉を遮り、雲雀はきっぱりと言い切った。
「まだはっきりとは決めてないけど、並盛高校かな。一番近いし」
「今のままで平気なのか?」
「成績なら問題ないよ」
「そーじゃなくて、跳ね馬と滅多に会えなくてもってことだよ!」
すると、雲雀は「ああ…」と呟いて口をつぐむ。
「だって、お前らなかなか会えないだろ。オレたちみたいに毎日会えてるのからしたら…やっぱ、辛いんじゃねーかって」
「確かに、イタリアに行けば今よりも会う回数は増えるだろうけどね。でも、まだ僕は子どもだから……どうしたって僕とディーノの年齢差が埋まるわけじゃないけど、もう少し大人にならないとディーノの傍にはいけない」
「そういうもんかな…」
「そういうものなんだよ、僕とディーノの間は」
困惑げな獄寺に笑いかけ、「それに」と息をついた。
「毎晩あの調子じゃ体がもたないよ」
「………っ!!」
獄寺は耳まで真っ赤になり、ごくりと息を飲んだ。
「そ…そーいうもんか…?」
「隼人なんて毎日会えるんだし、そうなったらきっと大変だよ?」
雲雀が意地悪げに言うと、サーーーッと獄寺の顔から血の気が引いた。
真っ赤だった顔が一気に蒼くなっていく。
「あ、獄寺くん!」
一時間目が終わった頃教室に入ってきた獄寺に気づいて、ツナが駆けてきた。
「おはようございます、10代目!スイマセン、遅くなりまして!」
「良かった〜、来ないかと思った。山本も気にしてたんだよ〜」
と、ツナは教室の中に山本の姿を探す。
山本はクラスの男子たちに囲まれていたが、獄寺に気がつくとすぐに抜け出してこちらへやって来た。
「獄寺!やっと来たな!」
獄寺は赤く腫れ上がった山本の顔を見上げ。
「…痛むか?」
「いーや、全然ヘーキ。オレこそゴメンな、急にあんなことして」
山本は獄寺に気遣うようにそう言ってから、ツナに断りを入れて獄寺を教室の隅へ引っ張る。
そうして、他の人間に聞こえないように、小声で獄寺に耳打ちした。
「獄寺が嫌ならもうあんなことしねーから、またデートしてくれな?」
「……っちが」
獄寺が言いかけた時、授業開始を告げるチャイムが鳴り担当教師が教室に入ってきた。
「じゃ獄寺、また後でな」
ぽん、と山本は獄寺の頭を撫でて自分の席へと戻っていく。
ぎゅう、と唇を噛み締めて、獄寺も自分の席に着いた。
違うのに。
嫌だったわけじゃない。
ただ、驚いただけだ。
好きな男に触られて嫌なわけねーだろ、バカ―――。
放課後。
野球部の部室で、山本はがっくりとうな垂れていた。
嫌がるならしない、とは言ったものの、山本自身は獄寺に触れたくて仕方ないのだ。
好きな女の子に触りたいと思うのは男としては当然の欲求だろう。
毎日教室で顔を合わせて、一緒に下校したり、山本家で一緒に夕飯を食べたり、その間ずっとガマンし続けられるかと訊かれると、正直自信がない。
けれど、昨日みたいに怯えられて嫌われることにでもなったら―――。
「はーーー…どうしよ、オレ…」
と、わらわらと他の野球部員たちも部室に入ってきた。
「なんだよ山本、珍しく暗いじゃん!」
「さてはその顔、女にでも振られたか?」
「まっさか〜、山本を振る女なんていねーだろ!」
そう言って、彼らはげらげらと笑いあった。
「そういや山本って彼女いたっけ?」
「あ、さてはあの一年の巨乳の子か?」
問い詰められて、山本は違う違うと首を振る。
「あの子とは何でもねーよ!オレの彼女は…」
言いかけて、山本は慌てて口をつぐんだ。
獄寺は女の子でオレたち付き合ってます、なんて言えるはずがない。
「え?なになに、山本彼女いんの!?」
「どこのクラスの子だ!?」
「ちっ、違う違う!今の間違いっ!」
「なんだよ、隠すことねーじゃん。教えろよ〜!」
「だからいねーって〜!」
必死の思いで誤魔化す山本だった。
その夜、山本家。
「ほらよ、獄寺くん!たんと食いな!」
「どうも」
獄寺はいつものように山本家に寄って夕飯をご馳走になっていた。
「獄寺くんもその歳で一人暮らしたぁ大変だよなあ」
「すいません、いつもお邪魔しちまって…」
「いーってことよ。親子二人だけの食卓じゃあ華がなくていけねぇ。獄寺くんみてーなキレイな子がいてくれたら食卓もにぎわうってもんだ」
「はあ…」
「そーだ、いっそのことうちに住んだらどうだい?」
「「は?」」
獄寺だけでなく、その隣で食事していた山本も動きを止めた。
「部屋ならあまってんだし、武も獄寺くんがいてくれたら嬉しいだろ?もちろん、獄寺くんが良ければだけどな」
「あの…気持ちは嬉しーんすけど…」
獄寺が困惑気味に言葉を続けようとしていると、山本の声がそれを遮った。
「ダメだっ!!」
「やま…もと…?」
「おわっ!なんでい武、でっけえ声出すんじゃねーや」
山本は怖いくらい真剣な顔で、ぎゅうと拳を握る。
「獄寺が同居なんてぜってーダメだからなっ!」
「なんだよ、いい考えだと思ったんだがなあ」
ズキリ、と獄寺の胸が痛んだ。
好きな相手に拒絶されることがこんなに苦しいだなんて。
昨日、自分も同じことを山本にしたのだ。
「ご馳走様でした。オレ…帰ります」
「え?獄寺くん、まだ残って…」
カタン、と席を立ち、獄寺は山本家を飛び出した。
剛の制止の声も聞かずに飛び出した獄寺は、必死の思いで夜道を走る。
と、唐突に誰かに肩を掴まれ、動きを止められた。
「隼人じゃねーか、どした?」
「シャマル…」
幼い頃からの知り合いで師匠でもあるドクターシャマルが、自分を見下ろしていた。
「ん?お前、泣いてんのか?」
「なっ…泣いてねーよっ!」
獄寺は溢れていた涙を慌てて拭った。
「野球坊主のとこいたんじゃねーのか?何があった?」
シャマルが問いかけると、さらに大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちる。
「あーあー、ほれ、何があったか話してみろ」
シャマルはスーツの裾で獄寺の顔を拭うと、その頭を抱え込んだ。
「……っ、アイツ、オレのことなんてもう嫌になったのかもしんねえ…」
「どーしてそう思うんだ?」
「オレが触らせねーから…もっと簡単にやらせてくれる女の方が、アイツは…」
言いながらも、再び涙がこみ上げてくる。
「あーー…まあ、アイツもまだ抑えのきかん年頃だしなあ」
難しい顔で、シャマルは顎を撫でた。
「そーじゃねえよ!!」
突然聞こえた声に、獄寺の体がびくりとした。
シャマルの胸から顔を上げ、そこにいる山本の姿を捉える。
「違うんだって、獄寺!オレは獄寺以外の女なんて興味ねえよ!さっきのは……その、だって、お前と同居なんてしたら、オレきっとお前の気持ちなんて考えねーで手ぇ出しちまうと思ったし…」
「やまもと…」
「だからっ!オレはお前だけが好きだから…!触りてーけどお前に嫌われるくらいならガマンすっし…」
ぽん、とシャマルの手が獄寺の背中を叩いた。
「答えてやれ、隼人」
「え…」
「あんだけ言ってくれる男はそういないぜ?まあ、またお前が泣かされるようなことがあればオレも黙っちゃいねーけどな」
そう言うと、シャマルはひらひらと手を振りながら去っていった。
「獄寺、オレ…ゴメンな」
そうっと窺うように言われた言葉に、獄寺はふるふると首を振る。
そうして、そのまま山本の胸に飛び込んだ。
「バカヤロウ…!勝手に早とちりしてんじゃねーよ!オレ、嫌だなんて一言も言ってねーだろーが!」
「え…だって」
「ただ…びっくりしただけだ。正直まだ早えーと思ってるし…。けど、お前にさっき拒絶されたかもって思ったら…すっげえ苦しくなって……お前を拒んだこと、すげえ後悔した…」
「獄寺……ほんとに嫌じゃない?」
「だから、嫌じゃねえって!」
言いながら顔を上げると、山本の真剣な瞳と視線がぶつかる。
山本の手が獄寺の肩を掴んだ。
「じゃあ言うけど、オレ、獄寺とエッチしたい」
「………っ!」
「すぐにじゃねーよ。獄寺が平気んなるまで待つように努力すっし。けど、オレの気持ちはわかっててくれな」
優しく言い聞かせるような口調で言われ、獄寺は無言でこくりと頷いた。
「いつか……な」
やっとの思いで、それだけ答える。
「うん。そんでいつか、オレの嫁さんになってくれたら嬉しーな」
「な……っ!」
信じられないといった様子でぱくぱくと口を動かす獄寺。
山本はまっすぐに獄寺を見つめたまま、穏やかに笑いかけた。
「オレ、そんくらいマジだから。…考えといてくれな?」
「〜〜〜っ」
何も言えずにいる獄寺の手を取り、山本はにかっと笑う。
「戻ろうぜ。急に出てったからオヤジも心配してるだろーし」
「……あ、ああ」
『考えといてくれな』
さっきの山本の言葉が、獄寺の頭の中で繰り返し響く。
幸せすぎて張り裂けそうな胸を押さえ、獄寺はそっと、口の中で呟いた。
んなの、考えるまでもねーっての―――。