ハニカムハニ
「おはよー」
月曜日の朝、通学路の途中で後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、白い息を吐きながらツナが笑っている。
「よ、よお、ツナ。おはよ」
「どうしたの!?その顔!」
オレの顔を見るなり、ツナが声を上げた。
赤く腫れ上がっている左の頬を指で撫でながら苦笑する。
昨日派手に引っぱたかれたそこは、触ってみるとまだ少しヒリヒリと痛んだ。
「昨日のデート、うまくいかなかったの?」
ツナが窺うように問いかけてきた。
痛いところをつかれて、オレは無言で頷く。
必死の思いで告白してオーケーされたのが五日前。
昨日は記念すべき初デートで、ツナにも浮かれて報告していたのだ。
「そっか…。まあでも、獄寺くんが怒るのなんてよくあることだし、すぐにほとぼりが……」
そう慰める言葉の途中で、ツナは眉をひそめた。
「なんか、山本にしてはすごい落ち込みようだけど……そんなに怒らせちゃったの?」
「う……っ、ツナぁ〜〜〜!」
堪えていたものがあふれ出すように、オレはその場で勢いよくツナを抱きしめた。
「わ!?ちょ、落ち着いて山本!いったい何があったんだよ!?」
「それが……」
昨日の日曜日。
駅前で待ち合わせをして、獄寺が15分くらい遅れてやって来た時はものすごく嬉しかった。
獄寺が時間通りに来ないだろうことは予想してたけど、それでも来てくれるかちょっぴり不安だったのだ。
おまけに獄寺は、私服では初めて見るスカートだった。
いつもは男みたいな格好ばかりだったので、オレのために可愛い格好してくれたんだと思うと感激して涙が出そうだった。
そんな獄寺と一緒に映画を観て、買い物をして―――本当にとてもいい雰囲気で初デートは進んでいたのだ。
けれど。
昼になって、マックに入った時のことだった。
「獄寺、先に席とっといて。オレ買ってくるから」
「ん。じゃあオレ、テリヤキのセットな。飲み物はコーラ」
「オッケー」
そう言って行こうとしたオレの袖を掴んで、獄寺が引き止める。
「上着貸せよ。持っといてやるから」
確かに、店の中は混んでいることもありジャケットを着込んだ格好では暑かった。
オレは獄寺の言葉に従って上着を脱ぎ、その手に預けた。
それから数分後、二人分のトレイを持って獄寺の待っている二人掛けの席へと戻ったら、立ち上がった獄寺が、突然オレの顔を引っぱたいたのだ。
当然のごとくトレイを落っことし、ポテトが散乱してジュースがこぼれる。
オレはといえば、尻餅をついて呆然と獄寺を見上げていた。
獄寺は鬼のような形相でオレを睨み下ろし。
そうして、指先でつまんだものをオレの眼前に晒した。
「てめえがそーいうヤロウだとは思わなかったぜ」
「へ?………あっ!」
ソレを見たオレは、その場に硬直して顔を蒼くする。
獄寺は手に持っていたそれをオレに投げつけると、周りの注目に「見んじゃねえ!」と喚き散らしながら一人店を出て行ってしまった。
「ジャケットのポケットに入れっぱなしにしてたの忘れてて……」
「いったい何を見つかったの?」
「…コンドーム」
ポツリと呟いてから窺うようにツナを見ると、ツナまでもが憐れむような軽蔑するような微妙なまなざしでオレを見ていた。
「ち、違うのな!オレがそーいうつもりでそーいうことしたくて持ってたワケじゃなくてっ!?」
じりじりとオレから距離を取る親友に向かって、慌てて声を荒げる。
獄寺に続いてツナにまで見放されたら立ち直れない。
「待ち合わせに向かう途中で野球部の友達にあってさ、これからデートなんだ、って浮かれて話したら持っていけって押し付けられたのな。最初のデートからそんなん使わねえよって言ったんだけど、無理やりポケットに押し込まれて…。捨てる場所も見つかんねえし、しょーがねえからそのまま入れてただけなのな!」
「そ、そーなんだ…。それは災難だったね」
ツナのほっとした様子に、誤解が解けたらしくオレもほっと息をつく。
「けど、そんなん持ってたら獄寺が誤解すんの当然なのな。誤解解きてえんだけど、昨日あれから携帯もつながんなくて…」
なんとしても今日会ったら誤解を解かなくてはならない。
まずはおとなしく話を聞いてくれるかが問題なのだが……。
オレがうな垂れていると、ツナがオレの背中を叩いた。
「だいじょうぶだよ、獄寺くんだって山本がそんなヤツじゃないってわかってるはずだし、ちゃんと説明したら仲直りできるって!」
「そーかな…」
「そうだよ!」
下足箱で上履きに履き替えていると、女生徒が入ってきてスカートとその下の足が目に入った。
足だろうと腕だろうと間違えるはずのない相手で、体を起こして慌ててその顔を見る。
そこにいた獄寺と視線が合い、名前を呼ぼうと口を開きかけたその瞬間。
ビュンッ!!と風を切るような速さで、獄寺は逃げるようにその場から走り去ってしまった。
オレは呆然としてその場に立ち尽くす。
「ご、ごくでら…」
「あー…行っちゃったね…」
思わずその場に膝を着き、がくりとうな垂れる。
顔を見た途端にあんな全速力で逃げられるなんて、オレ、もう獄寺に嫌われちまったのかな。
「山本、しっかり!だいじょうぶだから、ちゃんと誤解解こうよ、ね!?」
「うう……」
しかしその後、一時間目になっても二時間目になっても獄寺が教室に現われることはなかった。
まだ靴があるから学校にいることは間違いない。
この寒い時期に屋上にはいないだろうから、そうなると獄寺がいそうな場所は二つ。
保健室と、応接室。
とりあえず穏便に訪問できる保健室から先に訪れてみたが、そこには獄寺はいなかった。
誤解を解くためだ、と意を決して応接室に向かう。
「ワオ。自分から死にに来るなんてね」
応接室のドアをノックすると、案の定出迎えた雲雀にそう言われた。
どうやらこの中に獄寺がいるのは間違いない。
「ケンカしに来たんじゃねえんだ。獄寺に用があんだよ」
「隼人は会いたくないって言ってるよ。君みたいなケダモノには」
やはり避けられているらしい。
ケダモノよばわりにショックを受けつつ、まずは獄寺から事情を聞いたらしい雲雀の誤解を解くべきだと考えた。
「獄寺は誤解してんだって!アレは……その、オレがそーいうつもりで持ってたんじゃなくて!オレ、いきなりそんなことする気ねえし!」
「じゃあいつする気なんだい?」
「え゛」
いつと聞かれて、言葉に詰まった。
そりゃあ付き合ってすぐにとは思っていなくても、いつまでもしないつもりではない。
できれば早めに、なんてヨコシマな思いがないわけでも……。
「どうせチャンスがあればいつでも、って思ってるんだろ」
「うぐ」
否定できない自分が恨めしかった。
でもそれは、男なら誰だってそうなはずだ。好きな女の子を抱きたくなるのはしょうがない。
「け、けどオレはっ!獄寺以外にはそーいうことする気ねえし!獄寺が嫌だってんなら無理やりする気はねえしっ!」
「何言ってるの。あんな可愛い子押し倒さずにいられるはずないじゃない」
なんかそう発言してる雲雀の方がよっぽど獄寺にとって危険なのは気のせいか…?
「じゃあね」
冷たくそう言って、雲雀はドアを閉じてしまった。
昼休み。
「獄寺くん、戻ってこないね…」
気遣うようにツナに言われて、オレは力なく頷いた。
「うう、ごめん。力になりたいけど、応接室の中じゃオレにはどうにも出来ないよ」
普段ならツナが呼べば飛んでくる獄寺だが、応接室の中にこもっているので獄寺に会うにはまず雲雀を攻略しなければならないのだ。
応接室に行くなんてムリだ、とツナはぶるぶる震えている。
「どーにかして獄寺に連絡取る方法ねーかなあ…」
そうぼやいたその時。
スピーカーから、聞きなれたメロディが流れてきた。
『みなさん、こんにちは。お昼の放送の時間です』
「そうだ!」
閃いた考えに勢い良く立ち上がり、オレは教室から飛び出した。
「わりい!ちょっとだけ貸してくれ!」
ずかずかと乗り込んだ室内で、呆然としている相手を押しのけてマイクの前に立つ。
そうして、大きく息を吸い込んだ。
「ごめん獄寺っ!!!」
声を張りすぎたのか、思いのほか放送室のマイクが高性能だったのか、ビリビリと空気が振動する。
周りの放送部員たちが耳を押さえていたが、構わずにオレはマイクに向かって言葉を続けた。
「ほんっとーにごめん!!なに言っても言い訳に聞こえるかもしんねーけど……でもオレは、本当に本気で獄寺だけが好きだから!」
思いつく限りの言葉で、獄寺に好きだと叫び続ける。
ぎゅうと痛いくらいに拳を握り締め、声を振り絞った。
「愛してっから………だから、オレのこと嫌いにならねーでくれ!!」
その時、どれくらいそう叫んでいたのか、突然ドガンッ!と背後のドアが開けられた―――というか、壊された。
ぶちきれた獄寺がやってきたのかと思ったオレだったが、振り返ったオレの目に映ったのはぶちきれた獄寺ではなく、ぶちきれた雲雀だった。
「ここまで堂々と風紀を乱すなんて……よっぽど咬み殺されたいようだね」
低い声で言って、雲雀がトンファーを手に向かってきた。
「おわっ!!」
慌ててその攻撃を避ける。
反撃しようにも丸腰では分が悪かった。
くわえて、狭くてごちゃごちゃした放送室の中では逃げ場も限られている。
「ぐっ!」
腹にトンファーの一撃を食らい、吹っ飛ばされる。
てっきり壁に激突するかと思ったのに、オレの体はそのまま開いていたドアから放送室の外の廊下へと転がり出た。
「てて…」
立ち上がろうとしたところで、雲雀の足が目に入る。
顔を上げると、雲雀がトンファーをオレの顔に突きつけてきた。
背筋を冷たい汗が流れ覚悟を決めたが、雲雀はそのままの体勢で口を開いて。
「あの子が泣きやまないんだ」
そう言って、顔を曇らせた。
「え……」
「早く泣き止ませてよ。君ならできるんだろう?」
ぽかんとしていると、トンファーの先端がオレの額を小突いた。
「咬み殺されたくなかったら早くしなよ」
その言葉に弾かれたように立ち上がり、全速力で駆け出した。
廊下を駆け、躊躇なく応接室のドアを開ける。
「獄寺っ!!」
名前を呼んで、部屋の中を見渡した。
いた。
獄寺はソファの上にうずくまって膝を抱えていた。
オレの声にびくりと背中を震わせて、そろりと顔を上げる。
銀の髪が流れ、間から覗いた瞳も頬も涙に濡れていた。
「獄寺っ!ごめん、オレ……」
駆け寄って獄寺を抱きしめようと腕を伸ばしたが、獄寺は素早くソファの後ろへ飛びのいた。
そうして、ぼろぼろと涙をこぼしながらオレを睨む。
「てめえ!なに考えてんだ!学校中にあんな放送流しやがって!!」
「だってああでもしねーと獄寺に伝えらんねえと思って…!」
「だからって、恥ずかしくねーのかてめえは!」
「恥ずかしくなんてねえよ!!」
真っ赤な顔で喚いている獄寺の腕を掴み、もう一方の手をその背中に回した。
ソファの向こうからその体を持ち上げ、抱きかかえたままでその顔を見上げる。
「獄寺のこと好きだって言うのが恥ずかしいわけねえじゃん。みんなに言ってまわりたいくらいなのに」
「な……っ!?」
「でも、一番にわかってもらいてえのは獄寺なのな。昨日の、その…コンドームは本当にオレがそういう目的で持ってたもんじゃなくて、友達に押し付けられたもんで……」
そこまで言って、ふるりと首を振った。
「ごめん、言い訳して。誤解だって言い切れねえくせに…。オレやっぱり、獄寺とそういうことしたいって思ってるよ。こんなに好きなのに、欲しくならないわけねえもん。でも、それよりももっと、獄寺のこと大事にしてえって気持ちの方が強いんだ。泣かせたくねえし、幸せにしたい。だから、オレが獄寺を好きなの許してくれよ」
言葉を切り、まっすぐに緑の瞳を見つめていると、獄寺が上体を倒してオレの首に腕を回してきた。
獄寺はそのままオレの肩に顔を伏せ、ぐすぐすとしゃくりあげる。
「ちょっ!?獄寺、頼むから泣きやんでくれよ!?」
「バカヤロー!てめえのせいでとまんねえんだよ!」
「泣きやんでくんねえとヒバリに咬み殺され…」
その時、耳元で囁かれた言葉に動きを止めて固まった。
「ご、獄寺?今…」
告白した時、獄寺は黙って頷いてくれただけだった。
だから本当言うと、獄寺から直接気持ちを言ってもらったことはない。
けれど、今。
確かに獄寺の声が聞こえた。
「好き」だって。
オレが呆然としていると、獄寺はオレの肩から顔を上げて相変わらず赤い顔でオレを見据えて。
「オレはっ、てめえみてえに誰彼構わず触れまわすほど恥知らずじゃねえんだ!てめえにしか言わねえし、今の一回きりだからな!もう言わねえぞ!」
「う、うん…」
「それからっ!オレだってバカじゃねえんだから、男がヤリたい生きもんだってことくらいわかってる!でもお前がそーいうヤリたいだけの男とは違うってこともわかってんだ!昨日は……その、びっくりして、オレもお前の話聞かずに飛び出しちまって……」
そこで言葉を切り、獄寺の細い指が赤く腫れているオレの左頬に触れた。
「…痛むか?」
「もうそんなに痛まねえよ」
獄寺が気にしないようにと笑いながらそう言った次の瞬間、獄寺の顔が近づいてきて左頬に柔らかい感触が触れた。
「っ!?ご、獄寺!!?」
「………早く治るように」
そう言って、獄寺はふいっと顔を逸らしてしまった。
横を向いたので耳まで赤くなっているのがわかり、その可愛さに思わず顔が緩む。
「獄寺」
弾む気持ちを抑えつつ、そっと名前を呼んだ。
「キスしても、平気?」
窺うように問いかけると、びくんと体を震わせてから獄寺がそろりと視線を向けてきた。
「…ん」
こくんと小さく頷いてくれたので、獄寺を抱えたままソファに腰を下ろす。
自然とオレの膝の上に乗っかる格好になった獄寺をまっすぐに見つめて、その頬に手を添えた。
獄寺はぎゅっと瞳を閉じてじっとしている。
「好きだよ…」
そう囁いて唇を寄せていった、その時。
「校内での不純異性交遊は禁止だよ」
「っ!!?」
「あ、恭弥」
いつの間にか応接室に戻ってきた雲雀が、オレたちの方へと歩いてきた。
そうして、オレの膝から獄寺を引っぺがすように奪いとる。
「ようやく泣きやんだみたいだね」
「ああ。心配かけたな、恭弥」
雲雀は獄寺の様子に満足そうに笑い、それからオレに目を向けた。
「昼の放送を滅茶苦茶にしてくれた罰はちゃんと受けてもらうよ」
「うっ…」
その点に関しては風紀委員からにしろ先生からにしろ怒られるのを覚悟していたので何も言えない。
その時、昼休み終了五分前を告げる予鈴が鳴り出した。
「ほら、午後の授業が始まるから早く教室に戻りなよ」
雲雀に睨まれて、この場はおとなしく教室に戻ることにした。
ファーストキスを邪魔されたのを思うとかなり残念だが、獄寺の気持ちはわかったし、今朝までの絶望的な気分に比べたら雲泥の差だろう。
応接室を出ようとしたところで、袖を引っ張られた。
振り返ると、獄寺がオレの袖を掴んで雲雀の方に顔を向けていた。
「恭弥、オレも教室戻るから」
「え…?獄寺も?」
思わずそんなふうに言うと、こちらを向いた獄寺が眉間に皺を寄せて睨んでくる。
「なんだよ、文句あんのか?」
「な、ないないっ!」
慌てて首を振り、その手を握った。
握り返してくれた手に、これ以上ないくらい幸せを感じる。
「行こうぜ、獄寺っ!」
そう呼びかけて、一緒に教室へと駆け出した。
やらしいことをしたい気持ちだってやっぱりあるけど。
今はまだ、ゆっくりでいいや。
獄寺とならそれでもいいって思えるから。
「山本」
「ん?」
後ろにいる獄寺に呼ばれて、足を止めて振り返った。
押し付けるように触れてきた唇に目を見開く。
「ご、ごく…」
「…さっき、できなかったから」
そう言うと、獄寺ははにかむように笑った。
立ち尽くしたままのオレを放って、獄寺はさっさと先に進んでいく。
「ほら、早く行かねえと授業始まるぜ」
そんなことを言われて、慌ててオレも足を動かした。
前を行く後ろ姿を見ながら、捕まえて抱きすくめたい衝動にかられる。
ああ、やっぱり押し倒しちまいたい。
教室に戻ったら冷やかされること間違いないです。
ていうか、学校中どこに行っても冷やかされるよね。
…にしても恭弥出すぎ(笑)
タイトルはsurfaceの昔のアルバムから。
(2009.1.10UP)
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