Don't Forget Anything

 

鳴らされたインターフォンに腰を上げ、ドアの前に立つ相手の顔を確認してドアを開けた。

「随分、早いね」
「へへ、早く恭弥に会いたくってさ」

しまりのない顔でへらりと笑う、金髪の男。
呆れ顔で息をついて、僕は彼を家の中に招き入れた。







「仕事を終えてから来るはずじゃなかった?」

コーヒーを淹れながら、リビングで待つディーノに問いかける。
今朝日本に着いた直後にかけてきた電話では、夕方まで日本のある組織と取引を行って、その後で僕のところに来ると言っていたのに。

「仕事?あー……えぇと………んー、と…」

首をひねったり頭を叩いたりしながら、ディーノはうんうん唸っている。
怪訝そうに眉をひそめて、ディーノの前にコーヒーを置いた。

「取引だよ。そのために日本に来たんでしょ?」
「とりひき…」

ディーノはぼんやりとそう呟いて、それからふるふると首を振った。

「ダメだ、思いだせねえ!」
「思い出せないって、何を?」
「なあ恭弥、オレいったい何してる人間なんだ!?」
「…は?」

ディーノは僕の肩を掴み、そのまま大きな瞳で僕の顔を真剣に見つめてくる。
僕はディーノの頬に手を添えると、そのままその頬を力いっぱい引っ張った。

「いっ、いひゃい!いひゃいって、ひょーや!!」
「何意味不明なこと言ってんの、殺すよ?」
「い、意味不明なのは恭弥の方だろー!?何なんだよ、仕事とか取引とか、オレそんなもん知らねーよ!!」
「………」

ディーノは涙目になりながらも、拳を握り締めて訴えてくる。
ウソをついているようには、見えなかった。

「本気で言ってるの?じゃあ、キャバッローネは?ファミリーは?」
「何だ、それ?ファミリーって…オレの家族?」
「待って。自分の名前はわかるんでしょ?それに…僕のことも」
「ああ。オレはディーノで、恭弥はオレの恋人!」

そう言って、ディーノは嬉しそうに笑った。

「それ以外は?そうだ、沢田のことは?」
「…誰、それ?」

きょとん、と本当に自然に、ディーノは首をかしげた。
わかる。ウソなんかじゃない。
本当に忘れているのだ、ファミリーや、自分を取り巻く様々なことを。

「オレ、どーしちゃったんだろーな……」

自分がどういった人間だったか覚えていないディーノは、不安げな瞳で僕を見つめてくる。

そうだね、不安、だよね。
あやすように、ディーノの頭に手を触れた。

「気づいたらホテルのロビーにいたんだ。恭弥が待ってるから行かなくちゃって、それだけは覚えてて…。なんでホテルにいたのかとか、自分の家はどこなのかとか、全然思い出せねー…」

迷子になった子犬のように、ディーノはしゅんとうな垂れてみせた。
すがるように、僕に体を寄せてくる。

「本当に、僕のこと以外覚えてないの?」
「ああ」
「……そう」

ありがとう、なんておかしいかな。
でも嬉しいんだ、僕のことだけは覚えていてくれたってことが、なんだか特別な感じがして。

その時、携帯の着信音が鳴り響いた。

「わ、わっ!?」
「貸して」

ディーノの背広のポケットから携帯を取り出す。
案の定、ロマーリオからだった。

ひょっとしたら、ロマーリオに会っていろいろと話をすればファミリーのことを思い出すのかもしれない。
ロマーリオとは幼い頃からの付き合いだと聞いているし。

けれど―――。

ピ、と携帯の電源を落として、それをソファの向こうに放り投げた。

「恭弥?」
「大丈夫。焦らなくても、きっとそのうち思い出すよ」

それまでは、僕があなたを独占したっていいでしょう?
こんな時しか、あなたは僕だけの物になってくれないもの。

「そーだな」

そう言って笑い、ディーノはぎゅうと僕を抱きしめた。
負けじと僕もディーノの背中に腕を回し、抱きしめる。

「…不安じゃない?」
「んー…ホテルにいた時はすげー不安だったんだ。けど……恭弥に会ったらなんかどーでもよくなった」
「…単純」
「だって、オレには恭弥の記憶しかないのに、ここに来ても恭弥がいなかったら、存在してなかったらどーしようって。恭弥はオレの作り出した想像の恋人に過ぎなくって、オレ自身も…ほんとは存在してなかったらって。そう思うと………恐くて」
「バカだね、あなたは」

震えるようにしがみついてきたディーノが愛しい。
そっと、その広い背中を撫でた。

「あなたが忘れてるだけで、あなたを好きな人はたくさんいるんだよ。本当に…数え切れないくらい」

そう、妬けてしまう、くらいに。

「なんでオレ、そいつらのことは忘れちまったんだろ…」
「さあ。残念だね。大事な人たちのこと忘れちゃって。みんなあなたを大切にしてくれていたのに」
「そーなんだ…」

ディーノはしばらくじっと考え込んでいたけれど、顔を上げて。

「ま、恭弥のことだけ覚えてられればいっか」

と、そう呟いた。それから体を離して、僕の顔を見つめる。

「恭弥は、オレのこと大切か?…ああ、いや、記憶ねえ時にこんなこと聞くの卑怯だよな!」

慌てたように顔を逸らすディーノ。
僕は手を伸ばしてディーノの顔をこちらに向けさせると、「違う」と首を横に振った。

「卑怯なのは、僕の方。こんな状況になって、一瞬でも喜んでしまったなんて」
「え…?」
「僕はあなたが大切だよ、すごく。僕にとって唯一の、大切な人。でも……」

ディーノが僕だけの物になって、嬉しかったはずなのに。
それでも、僕だけいればいいなんて言うディーノが欲しかったワケじゃない。

部下からの連絡で僕を残して出て行ってしまうディーノも。
部下のピンチに危険も顧みず飛び出してしまうディーノも。
部下の誕生日を欠かさず祝うディーノも。
部下の命日には欠かさず花を供えるディーノも。

―――僕にとっては、大切なディーノであったはずなのに。




「恭弥?どーしたんだ?」

僕が黙ってしまったので困惑しているディーノの顔に手を伸ばし、手のひらでその瞳を覆う。
そうして、そのままディーノに顔を寄せた。

「わ!ちょっと、見えねーって、恭弥!」

もし、ディーノがイタズラな魔法にかかってしまっているなら。

「―――これで、解けるかな」

問いかけるように囁いて、そっとディーノに口付けた。
僕は王子様なんかじゃないけど。(そもそもディーノが姫なんて気持ち悪い)

目隠しされた上での突然のキスに驚いたのかディーノが身じろぎし、その拍子にソファの上についていたディーノの手が滑った。

「おわっ!!」
「ディーノ!?」

ぐらり、とディーノの体が傾き。
最悪なことに、ディーノはテーブルの角に後頭部を強打した。

そのままディーノは目を回してしまい、僕は彼の名前を呼びながら体を揺する。
何分かして、ようやくディーノは呻き声とともに瞳を開いた。




僕に抱き起こされた体勢のディーノは、僕の顔を不思議そうに見つめ。

「あれ?なんで恭弥が…?オレ、取引に行こうとしてたはず………」

それを聞いた途端、言葉を発することも出来ずに、僕は無我夢中でディーノに飛びついた。
押し倒すように重なり合って床に倒れると、たった今ぶつけた後頭部が痛んだらしく、ディーノが小さく呻く。

「てて…。恭弥、どーしたんだ…?」

ディーノが問いかけるけれど、僕はその胸に頭を押し付けたまま首を横に振る。

「…泣いてんのか?」

大きな手のひらが、僕の背中をあやすようにそうっと撫でた。
さっきまでの立場が逆転したみたいだ。

「……あなたがバカすぎて、泣けるんだよ」
「ひでーな。オレ、なんかした?」

何かしたどころじゃない。僕をこんなに嬉しくさせたり、不安にさせたり。
そんな人間、あなた以外に誰がいるというの?

名残惜しいけれどディーノから体を離し、ソファの後ろに落ちているディーノの携帯を手に取る。
電源を入れると、案の定すぐにロマーリオからの着信。

「急いだ方がいいよ。取引、もう始まるんじゃないの?」

そう言って携帯を差し出すと、ディーノはそれを手に取り電話に出る。
イタリア語でなにやら早口にまくしたて、ディーノは立ち上がった。

「わりい、恭弥!ちょっと行ってくる!」

いまだ状況は把握できていないだろうに、ディーノはもうすっかりボスの顔に戻っていて。
出て行こうとするその腕を掴んで引き止めると、困ったようにディーノが振り返った。
僕はディーノに掠めるようなキスをして、その顔を見つめる。

「行ってらっしゃい」

あなたは僕のところに帰ってくるって、そう信じてるから。
だから送り出せる。
あなたのことを思い時折胸を痛めても、それでも待っていられる。

「ああ。サンキュ」

ディーノは優しく微笑んで、僕にキスを返した。
そうして、振り返ることなく部屋を飛び出していく。







こんなふうに、穏やかだったはずの毎日を掻き回されて、心を乱されて。
まさか自分にこんな日が来るなんて思ってもいなかった。
僕を変えたのは、ディーノ。

自分以外の全てを捨てて欲しいなんて、言わない。
ただ、自分が特別であるだけでいい。

ディーノが戻ってきたら、さっきまでのことをどう説明しようか。
僕のことだけは覚えていたなんて知ったら、喜ぶだろうか、落ち込むだろうか。

……まあ、落ち込んだら慰めればいいよね。

そこで、思わず笑いがこぼれる。

夕飯はディーノの好きな物を作ってあげよう。
僕のことを覚えていたご褒美。




―――ありがとう、ディーノ。

 


恭弥は料理上手だといい。和食が得意だったらいい。
ディーノさんが記憶喪失になったのは、ホテルのロビーで派手に転んで頭打ったとかそんなベタな理由で。
(2007.5.27UP)

 

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